『愛、アムール』で自身二度目のカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞してから5年、ミヒャエル・ハネケ監督の最新作『ハッピーエンド』が3月3日より公開される。
移民が多く住む街、フランスのカレーを舞台に、白人の中産階級の家族を描く本作。ともに暮らしているにもかかわらず、なにをしているのかわからない、コミュニケーションの断絶した一家を通じてモラルの崩壊やコミュニケーション不全などを描いている。一見悲劇的に見えて、どこか滑稽さも滲む家族の姿は、観客それぞれに全く異なった感想をもたらすかもしれない。ちなみにハネケ監督本人は、本作を笑劇であると語っている。
病に倒れた妻と介護する老いた夫婦の愛を描き、前作に続き本作でもジャン=ルイ・トランティニャンが出演しており、前作の延長線上にある要素も見られ、またスナップチャットなどのSNSツールを登場させるなど、若者の新しいライフスタイルも取り入れている。
また昨今、移民を題材にして欧州映画が増えていると感じるが、本作にも移民問題は遠景として描かれている。監督が、今回カレーを舞台に選んだのは、移民問題への目配せがあるからのようだ。
ミヒャエル・ハネケ監督に本作について聞いた。
自らの犯罪をネットに公開するのは懺悔の意識だと思った
――本作はコミュニケーションの不可能さや無関心などを描いた作品と受け止めました。本作を撮ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
ミヒャエル・ハネケ(以下ハネケ):直接のきっかけはもう一度ジャン=ルイ・トランティニャンと仕事がしたかったということです。なので撮影場所はフランスにしました。ロケ場所にカレーを選んだのは、この街は難民の問題などを抱えているからです。もしドイツやオーストリアで撮影していたとしても、やはり難民などの問題に直面している街を選んだでしょうね。
――前作の『愛、アムール』からテーマを引き継いでいる作品になるのでしょうか。
ハネケ:そうですね。前作は、メタファーに富んだ終わり方で散文的でした。愛する人を手にかけてしまった時にどう感じるのかを描きたかったというのはあります。
――前作は愛する人を殺す老人を描きましたが、今回はさらに母親に薬を盛る少女が登場しますね。この少女は日本のタリウム少女をモデルにしているそうですが、この事件のどんな点に興味を持ちましたか。
ハネケ:自分の犯す犯罪を公開するのはなぜなんだろうと思いました。よくある答えとしては、注目を浴びたいということや承認欲求などが挙げられるでしょうが、私はもっと重要な理由があると思っています。自分の罪に対する罰を受けたいという欲求があるのではと思ったんです。
現在のインターネットは、かつてのカトリック教会が果たしていた機能を担っているのでは思います。いわゆる懺悔ですね。インターネットに投稿するというのは、無意識に懺悔するような気持ちの現れなのではないでしょうか。
ただ、この映画の少女、エヴが母親を殺したかどうかははっきりとは描いていません。事故か事件かは、映画としては自由に解釈可能にしています。
今起きていることは何百年も前から始まっていること
――本作では、SNSのような新しいコミュニケーションツールを採り入れるため、監督もリサーチのために実際にアカウントを作ってみたそうですね。実際に体験してみてどんな発見がありましたか。
ハネケ:退屈でしたね。(笑) フォーラムや掲示板などで若者の悩みや危機感なども勉強できましたし、若い世代のコミュニケーション方法がわかって興味深かったことは確かですが。
――本作は、ひとつの家族を通してモラルの崩壊を描いているように感じます。監督は現在の社会にモラルの崩壊を感じているのでしょうか、また社会のどんな点を見てそれを感じるのでしょうか。
ハネケ:日常を過ごすなかで、他者に対する共感や敬意がどんどん失われていると感じます。消費社会が蔓延し、利己主義的になっています。こうした変化は今に始まったことではなくて、ニーチェが「神は死んだ」と言った時から起こっていることかもしれません。
この映画は、難民についても少し触れていますが、この問題についても、突然始まったことではなく、その原因は過去何十年、あるい何百年も前から存在するものです。今起こっていることは過去から続いたことが延々と続いた結果です。
人間同士共感を持って、人道的にやっていくことを美徳だと考えなくなっている人が増えています。美徳が社会で意味を持たなくなり、社会がどんどん利己主義的になっていると感じますね。
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