2025年の日本を舞台に、綾瀬はるか主演のNHKドラマ『ひとりでしにたい』が幕を開けた。憧れの叔母の「孤独死」という衝撃的な出来事をきっかけに、主人公が自らの生き方と死に方に向き合っていく本作。第1話は、現代社会が抱える「孤独」と「死」への不安を容赦なく描き出した。しかし、本作の真の美徳は、この重厚なテーマをただシリアスに描くのではなく、随所に散りばめられたコミカルな演出によって、誰もが自分事として捉えられる極上のエンターテインメントへと昇華させている点にある。
憧れの叔母の「孤独死」が生々しさと笑いを同時に突きつける
主人公は美術館で学芸員として働く39歳の山口鳴海(綾瀬はるか)。猫と暮らし、アイドルの「推し活」に情熱を注ぐ彼女は、独身ながらも満ち足りた日々を送っていた。そんな彼女にとって、かつての憧れの存在は、おしゃれで自立していた叔母の光子(山口紗弥加)であった。
しかし、その光子が誰にも看取られることなく自宅の風呂場で孤独死しているのが発見される。発見が遅れた遺体は「ほとんど汁になっていた」という凄惨な状況。弟である鳴海の父・和夫(國村隼)は「結婚せずに好き勝手生きてきた罰が当たった」と吐き捨て、母・雅子(松坂慶子)は恐怖に駆られたように鳴海に婚活を迫る。この強烈な現実描写は、個人の尊厳を踏みにじるような「孤独死」に対する社会の冷たく残酷な視点を、冒頭から克明に描き出している。
焦燥と迷走 「ひとりで死にたくない」主人公の滑稽で愛おしい姿
叔母の死に様と、その遺品から見つかった大人のおもちゃを悪気なく職場で晒してしまった屈辱から、「孤独死は気持ち悪いものなのか」という恐怖に囚われた鳴海。「ひとりで死にたくない」という切実な思いから、彼女は婚活アプリに登録し、結婚という「安心」を求めて迷走を始める。
しかし、本作はこのシリアスな転換点を、絶妙なユーモアで彩る。あからさまな国際ロマンス詐欺に心をときめかせたり、年下の同僚・那須田優弥(佐野勇斗)から「39歳では需要がない」と辛辣な言葉を浴びせられ狼狽したりする鳴海の姿は、痛々しいと同時にどこか滑稽で愛おしい。深刻な状況だからこそ際立つ彼女の人間臭いドタバタ劇は、視聴者に安堵と共感をもたらす。重いテーマを敬遠させない、この巧みなバランス感覚こそが本作の大きな魅力である。
「ひとりで死ぬ」ための終活へ―シュールな笑いが導く新たな決意
婚活に失敗し、良かれと思ってした親切が裏目に出るなど、他者との関わりの中で傷つき、追い詰められていく鳴海。彼女の心に巣食う孤独と不安が、名優・麿赤兒の姿となって具現化し、常に彼女に寄り添うというシュールでコミカルな演出は秀逸だ。推しアイドルのスキャンダルも発覚し、心の支えさえも揺らぐ中、鳴海はある一つの真実にたどり着く。
誰かに迷惑をかけたくない。ならば、自分自身の力で、尊厳ある最期を迎える準備をすればいい。「ひとりで死にたくない」という恐怖からの逃避ではなく、「ひとりで、きちんと死にたい」という前向きな決意であった。
本作は「孤独死」というネガティブな事象を入り口にしながら、それを個人の「終活」という主体的な生の選択へと転換させていく。深刻な社会問題を、笑いと共に身近な物語として提示するこの手腕は、まさに本作最大の美徳と言えるだろう。綾瀬はるかが演じる鳴海の、悲壮感とユーモアに満ちた「終活」の道のりは、私たち一人ひとりが自らの「生」と「死」を考えるための、明るい道しるべとなるに違いない。