NHKドラマ10『しあわせは食べて寝て待て』は、病と向き合いながら生きる女性の姿を、静かでやさしい空気感の中に描き出す物語である。その原作を手がけたのは、水凪トリ氏。自身も膠原病を患いながら、「食べること」へのまなざしと、そこから立ち上がる生の再構築を描いてきた。
主人公・麦巻さとこは、38歳の独身女性。パート勤務で生計を立てながら、シェーグレン症候群という自己免疫疾患と共に日々を過ごしている。微熱、疲労感、頭痛、ドライマウス――身体が常に不調を訴える中、彼女の生活は極めて慎ましい。それはまさに「やり過ごす」毎日であり、幸せを語るには程遠いようにも思える。
だが、物語の転機は食にあった。団地への引っ越しを契機に出会った、個性豊かな大家・美山鈴や、薬膳に通じる羽白司との交流を通じて、さとこは「薬膳」という考え方に触れる。干し杏やスープ、大根といった食材が、単なる栄養ではなく心身を労わる手段となり、それが人との関係性を紡ぐ道具にもなっていく。
食事は、ただ栄養を摂るための行為ではない。『しあわせは食べて寝て待て』が描く食は、人と人をつなぐものであり、自分を大切にするための行為でもある。ときにそれは、医療以上に人の気持ちに効くのかもしれない。
この「薬膳」というテーマにこそ、作者・水凪トリ氏の実体験が深く息づいている。水凪氏自身、病気の発覚後にさまざまなセルフケアを模索する中で、薬膳を取り入れたことで体調が大きく改善したという。舞茸やれんこん、きくらげを入れたお粥を朝食にするなど、季節や体調に合わせて無理のない範囲で薬膳的な生活を実践してきた。
原作者・水凪トリの実体験が息づくリアルな描写
『しあわせは食べて寝て待て』の原作者・水凪トリは、主人公・麦巻さとこと同じく膠原病を患っており、自身の闘病経験が作品の根幹を成している。病気が発覚するまでの不調や不安、診断後の生活の変化、そして働き方への葛藤といった実体験が、物語の随所に反映されている点が特徴である。
とりわけ、体調不良と向き合いながら日々の生活をやりくりする様子や、周囲からの無理解に傷つく心理描写には、作者自身が体験した痛みがにじむ。さらに、水凪自身が薬膳を取り入れて体調が改善したという経験が、さとこが薬膳と出会い、自らの身体と丁寧に向き合っていく過程として描かれている。朝のお粥、体を温める食材の選び方、無理のない生活リズムなど、生活の知恵としての薬膳が、リアリティをもって描かれているのはそのためである。
こうした実体験に基づく描写が、物語に深みと説得力を与え、「病とともに生きることの現実」と「小さな希望」の両方を静かに伝える力となっている。読者はそこに、単なるフィクションではなく、誰かの現実としての「しあわせを探す日々」を見ることができるのだ。
こうした体験が、さとこの食卓にそのまま映し出されている。彼女の「食」は、薬膳を通じて自分の身体と会話する手段であり、誰かと何かを分かち合う希望でもある。
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万能の治療法ではなく「寄り添う知恵」
ドラマの中で印象的なのは、薬膳を万能の治療法とはせず、あくまで「寄り添う知恵」として描いている点である。羽白司が「病人に責任は持てない」と語るように、薬膳が病を治すわけではない。それでも、食べることで体が少し楽になる、心が軽くなる――その小さな実感が、主人公の再出発を支えていく。
「病気になって、生活が大きく変わった。でも、それは新しい自分になることかもしれない」。劇中で語られるこの言葉は、水凪氏自身の心境を代弁しているようでもある。かつてのようにフルタイムでは働けない日々の中で、無理をせず、自分のペースで生きる。それを支えるのが「薬膳」という生活の工夫であり、「食べること」への丁寧なまなざしなのだ。
『しあわせは食べて寝て待て』は、病に苦しむ人だけでなく、日々の暮らしの中で少しでも心と身体の調子を整えたいと願うすべての人に向けた物語である。そこには、「薬膳」や「食」を通して、自分の身体をいたわり、誰かとつながることで、少しずつ「しあわせ」が形をとっていく、そんな希望の物語が丁寧に息づいている。
シェーグレン症候群とは――乾きと疲労に悩まされる自己免疫疾患
シェーグレン症候群は、主に中年女性に多く発症する自己免疫疾患であり、涙腺や唾液腺を中心とした外分泌腺が自己免疫反応により障害される病気である。目の乾き(ドライアイ)や口の渇き(ドライマウス)が代表的な症状で、これにより視力障害や会話・食事の困難など、日常生活に大きな支障をきたすことがある。また、全身症状として疲労感や関節痛、頭痛、微熱、集中力の低下、抑うつ傾向なども見られ、QOL(生活の質)を著しく損なう場合もある。
この疾患は一次性と二次性に分類され、後者は関節リウマチなど他の膠原病に合併して発症する。発症原因は完全には解明されていないが、遺伝的要因、環境要因、ホルモンバランスの乱れなどが複雑に絡み合っていると考えられている。日本においては、潜在患者を含めると数十万人に上るとも言われており、女性患者が圧倒的に多いのが特徴である(男女比はおよそ1:17)。
劇中の主人公・さとこが抱えるこの病も、まさに「見えづらい不調」として、他者から理解されにくい。だが、それゆえに本作が描く「食を通じた癒しとつながり」は、シェーグレン症候群に苦しむ人々にとっても共感と希望を呼び起こすテーマとなっている。
ソース:「しあわせは食べて寝て待て」作者・水凪トリさんに聞く。もっと働きたい気持ちにどう向き合う? – りっすん by イーアイデム
シェーグレン症候群(指定難病53) – 難病情報センター