NHKドラマ、村上春樹原作の『地震のあとで』第3話は「神の子どもたちはみな踊る」だった。短編集の表題作にもなっている作品だ。
物語は2020年3月の現在と2011年の過去を行き来しながら展開する。1995年の阪神淡路大震災の直後に生まれた善也(渡辺 大知)は、シングルマザーの母(井川 遥)ととある宗教施設で暮らしていた。母は悪い男に騙されたようで、一人で善也を育てた。完璧な避妊をしたはずなのに、生まれた善也を彼女は「神の子ども」と信じている。
新興宗教の田畑(渋川 清彦)と出会い救われた母は、2011年の東日本大震災の被災地を訪れ困っている人をたすけようと中学生の善也(黒川 想矢)に言う。しかし、どれだけ神を信じても震災は起きて多くの人が死んだ。それなのに神を信じられるなんておかしいと善也は信仰を捨てる。
2020年3月、人々がマスクをして生活するようになった。務めるオフィスに行ってもだれも出社していない。唯一ミトミ(木竜 麻生)だけは色校正のために出社していた。先日クラブで2人で飲み明かしていたことを思い出す善也。酔った勢いで「神の子どもで昔『カエルくん』と呼ばれていたこと」ことを打ち明けてしまっていたのだ。
その帰り、人気のない霞が関の地下鉄から電車に乗ると、耳たぶが欠けている男を発見する。以前、母に自分の生物学上の父親は耳たぶが欠けた産婦人科医であることを聞かされていたのだ。
後をつける善也だが、見失い不思議な野球場に迷い込む。そこで3日前に10年ぶりに田端に会った時のことを思い出す善也。田端は善也の母に邪念(欲情)を抱いていたことを、死の間際に告白する。
善也が神を信じなくなった理由は、もう一つある。子どもの頃、外野フライを上手に捕らせてくださいと神様に必死にお祈りしても、外野フライが捕れなかった。野球場にはそんな因縁があるのだ。善也はそこで踊りだす。なんとなく誰かに見られている気配があるが、見たければ見ればいいと善也は思うのだった。
第一話は、阪神大震災直後の話、第二話は東日本大震災直前の話で、今回は2011年の震災から2020年コロナ禍初期に至る物語だ。こうして、時代をつなげてみると、日本は自然災害の国だなと思う。大きな天災と一緒に生きている民族なのだ。
霞が関の駅が出てきたことが気になった。物語の中では特別に強調されないが、ここはオウム真理教により地下鉄サリン事件があった場所だ。村上春樹はオウム事件を題材にした『アンダーグラウンド』も発表しているが、本作にも新興宗教めいた団体が登場している。天災ではないが、社会に衝撃を与えた事件として、オウム事件も背景にある作品と見た方がいいだろう。
村上春樹は宗教的要素を持つ作品も発表しているが、本作は天災と宗教的な要素を結び付けた物語だ。霊性のようなものを否定して生きる主人公だが、どこかに奇妙な霊性を感じてしまう。
母親は自らの人生に対する救いを求めて宗教を選んだが、人は何かにすがらないと生きていけない生き物だ。天災のような理不尽を前にすれば猶更だ。『地震のあと』に生きる我々は何を頼りに生きるべきか。狂わないようにするために、何を支えにすればいいのか。そんなことを考えさせる作品だった。
登場人物
善也(渡辺 大知)
田端(渋川 清彦)
善也(少年)(黒川 想矢)
ミトミ(木竜 麻生)
善也の母(井川 遥)