アシュトン・カッチャーの演技は素晴らしかった。アシュトン・カッチャーは。
Appleの創業者、スティーブ・ジョブズの伝記映画「スティーブ・ジョブズ」は、その映画の完成度はそれほど高くありません。自分の作る製品に妥協を許さず細部まで徹底的にこだわり、世界に革命を起こした人物の伝記映画としてはお粗末と言わざるを得ないです。
この映画は、各エピソードを消化するのが精一杯になってしまっていて、登場人物たちによって物語が進行しているように見えないのが不味い。ジョブズほど主体的に(わがままと言えるほどに)行動して、世の中に影響を与えた人間も珍しいでしょうが、そういう男を描くにあたって、エピソードに振り回されているように見えてしまうのはつらい。要するに作品内の人物たちがストーリーを動かしているように見えないのが欠点。重ねて言いますが、ジョブズほど自ら世界を動かした人もそうそういないというのに。
なにより残念な部分は、彼のイマジネーションの源泉は何なのか、わからないこと。間違っても暴君で非常識だから圧倒的な創造性を持っていた、と解釈するのはよろしくないと思います。しかし、そういう風にも見えてしまう映画ですね。
とはいえ、アシュトン・カッチャーの芝居は素晴らしい。彼自身、スティーブ・ジョブズを尊敬しているので相当研究して役作りに臨んでいるのがよくわかります。あのしゃべり方、あの歩き方、そこから発せられる言葉に感動できる人は感動できるでしょう。各エピソードもジョブズのファンなら既知のものが多く、ところどころはしょっている部分もファンなら自分で補完しながら楽しめるでしょう。
物語はジョブズの学生時代から、一度Appleを追放され、CEOとして復帰するまでを描きます。LSDをやり、インドに旅し、精神の解放を目指していたジョブズはウォズの作ったコンピュータに魅せられる前半、Apple Ⅱの成功で時の人となり、LISAプロジェクトやMacintoshプロジェクトで暴君ぶりを発揮する中盤、そしてAppleを追放され、低迷に喘ぐAppleを救うために復帰し、ジョナサン・アイヴと彼の傑作「iMac」のデザインに出会う後半という内容。
マイクロソフトとの戦いや、NeXTのエピソードは一応触れられているといった程度。
エピソード処理にいっぱいいっぱいでジョブズとAppleの成功のドラマを掘り下げきれていないきらいもあります。この映画だけを見て、Apple Ⅱの何が革新的だったのか理解できる人はあまりいないでしょう。つまりこの映画を楽しむためには予め多くの予備知識が必要になります。
スティーブ・ウォズニアックの言い方でいうと、重要なイベントにおける概念が正しく伝わらない、ということですね。
ウォズはいくつかの細かい点が事実と異なると指摘していますが、劇映画であってドキュメンタリーとして発表する以上、それは必要な演出。しかし変更や脚色は本質を掘り下げるために成されなくては意味がありません。
例えばマーク・ザッカーバーグを描いた映画「ソーシャルネットワーク」では冒頭、彼女とのケンカのシーンから始まり、その彼女にフレンド申請するシーンで終わりますが、あの彼女は架空の人物。なぜこういう脚色をしかというと、人と人の繋がりあうシステムであるフェイスブックを端的に表現するため。賛否両論ある脚色でしょうが、ソーシャルメディアの一側面を捉えていると思います。
とはいえ見所もたくさんあります。最大の見所はジョブズ役のアシュトン・カッチャー。キャスティングを初めて知った時、大丈夫かな、と思いましたが素晴らしいパフォーマンスでした。彼のベスト・パフォーマンスでしょう。しゃべり方や歩き方もそっくり。局本の弱さをその強い存在感で補っています。そんな姿を見れるだけでもジョブズのファンには見る価値のある作品ともいえるんじゃないでしょうか。
細かい描写では面白いものもあります。ボタンの反応の鈍いウォークマンを捨てるシーンなどは、後のiPodの開発を予感させるし、この映画の中ではジョブズは電話をかける時、電話が置いてある場所ではかけず、常に電話を持ち歩いてかけます。よほど縛られるのがイヤな男っぽいですし、後に携帯電話事業に進出するのもうなずけますね。
しかし、映画全体で、ジョブズがなぜイノベーションを起こせたのかきっちり言及できていないのは重ね重ね残念。間違っても彼がクズだからイノベーションを起こせたわけではない。それは副作用みたいなものでイノベーションの必要条件じゃない。(世の中にクズはたくさんいる)
映画製作者たちはどこまでそのことについて考えたのかな。ザッカーバーグを描いたソーシャルネットワークもまた、そのことについて理解を示していないわけですが。
この映画の楽しむためには予備知識がたくさんあったいいです。ウォルター・アイザックソンの著した伝記本を読んでおくといいでしょう。