フェイスブック創業者を描いた「ソーシャル・ネットワーク」で日本でも大きく名が知れた脚本家アーロン・ソーキンは、本作「スティーブ・ジョブズ」の脚本も担当している。ザッカーバーグにスティーブ・ジョブズとシリコンバレーのビッグネームの映画を手がけているので、彼ははさぞそっち方面に詳しいのだろうと思われるかもしれないが、ローレンス・レッシグはソーシャル・ネットワークの感想でソーキンはシリコンバレー文化を理解していないと評している。
実際、フェイスブックのアカウントはソーシャル・ネットワーク執筆時に開設したらしいが、書き終えた後にすぐ削除したらしい。(参照)
アーロン・ソーキンは舞台出身の脚本家だ。アメリカの映画界で彼が脚光を浴びたのは自身の舞台劇「ア・フュー・グッドメン」が映画化された時だ。あのハイレベルの法廷ドラマをソーキンが書いたのは20代の頃。その後、映画とテレビに活躍の場を移したが、どの業界でも一流の仕事をしている。
本作は、ウォルター・アイザックソンが著したジョブズの伝記本をベースにしているが、相当に脚色している。構成そのものはほとんどオリジナルと言っていいだろう。ウォルター・アイザックソンの本はジョブズの生い立ちから死去するまでを網羅する内容になっているが、本作はジョブズが行った3つのプレゼンのバックステージでの人間たちのぶつかり合いのみを描いている。
しかし、そこでのやり取りにジョブズの人生が透けて見える。というより、ジョブズの人生がプレゼン間際のわずかな時間で透けて見えるように凝縮して描いている。本作で描かれるやり取りが全て実際に起こった出来事というわけではない。言うなればこの映画は、ウォルター・アイザックソンが書いた本の内容を3つのプレゼン直前のいざこざに凝縮して見せようとしたわけだ。1シチュエーションで人生を描く。極めて演劇的だ。演劇の戯曲の基本構成は「序破急」の3幕だが、3つのプレゼンをそのまま「序破急」に当てはめて見せている。
主な舞台はジョブズの控室だが、ウォズやアンディ・ハーツフェルド、ジョン・スカリーやジョブズの娘リサや妻のクリスアンなど、多様な人物が出たり入ったりを繰り返し、ジョブズと問答を繰り広げる。まるで舞台袖に引っ込んだり、また出てきたりするように。人物の動かし方も舞台演劇を意識している。
なぜ、ジョブズを描くにあたって舞台劇のようなスタイルを選択したのだろうか。それはおそらく彼が輝いたのはプレゼンという舞台の上だったからではないだろうか。
ジョブズはプログラミングしなかったことは有名だ。そして世界を驚かせたiMacの斬新なデザインも彼によるものではない。あれはジョナサン・アイブの仕事である。本作でもウォズがジョブズに対してお前はプラグラマーでもデザイナーでもないと言い放つシーンがあるが、その通りなのだ。じゃあ、彼は何者なのかと言うと、映画製作で例えると映画監督であり、オーケストラで言えば指揮者のような存在である。作中でオーケストラの指揮者に自らをなぞらえるシーンも出てくる。同時に、よく知られるように彼は一流のプレゼンターである。プレゼン会場では演者として新製品の魅力を完璧以上に伝えてみせる。彼は舞台にいる時に最高に輝いた人間だった。ならば彼の人生を描くにあたって、舞台劇風のスタイルは良いチョイスなんじゃないか。
アーロン・ソーキン同様、監督のダニー・ボイルも舞台出身である(ロイヤル・シェイクスピアカンパニーでの演出経験もある)。役者の一挙手一投足、腕を振る角度や首を傾げる角度、立ち上がるタイミング、台詞の抑揚の付け方など、さらには瞬きのタイミングまで、あらゆる細部まで完璧に計算されているかのように演出されている。
デジタル機器やITの歴史を追ってきた人から見ると、本作は目新しいものは特になく、ジョブズの遺してきた製品がいかに世界を変えたかについて触れてもいないし、不満が残るかもしれない。多分、IT業界やアップルファンの人はこういうのが見たかったわけじゃないと思う。
本作はむしろ舞台好きにオススメだ。超一流の極上の会話劇である。作中では事件は起こらない、しかし各人物の人生が、洗練された会話の応酬にしっかりにじみ出ている。
脚本・戯曲を勉強している人などは絶対に見ておいた方がいい1作だ。あと脚本無料で読めるので(映画だけど)、読んでみるのもいいと思う。ソーキンの出世作「ア・フュー・グッドメン」も合わせて見て欲しい。
http://screenplays15.universalpictures.com/stevejobs/Steve_Jobs_Screenplay.pdf
講談社
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