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フェイスブックの「実名性」幻想を破壊する映画、Catfish。

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via Catfish movie trailer

どうもこの映画日本で公開される気配もないので、おもいっきりネタバレして書いちゃいます。ネタバレせずに魅力を伝えるのが困難な映画なので。

いえ、というのも最近日本ではこういう論調が多いなあ、と思って。今一生さんに限らずですけど、これもちょっと一面的すぎるかな、と思うところがあるので。

 

とはいえ、この映画のレビューがこうした論調に対して何かの回答になっているかというと、それも怪しいのですけど。
ただ、フェイスブック、あるいは実名制というものに対して多少見識が広がるかも、と思ったので紹介します。

この映画「Catfish」は、アメリカでは2010年に公開されました。
たしかソーシャルネットワークがその年の10月公開で、今作品が8月か9月だったと思います。

ソーシャルネットワークが公開前から大きく話題になっていましたが、この映画はドキュメンタリーということもあり、インディーズ系の映画館での上映でしたが、一部では「もう一つのフェイスブック映画」として話題になりました。

まず物語の概要を。
ニューヨークに住む写真家のNev Schulman(本編の主人公)と彼の兄 Arielそして友人のHenry Joost(この映画の監督)はある日、Nevが雑誌用に撮影したバレエの写真を描いた絵を小包で受け取る。差出人はAbbyという8歳の女の子で、彼の写真に感銘を受けて送ったのだという。2人はフェイスブックを通じて友達となり、やがて彼女の母親や姉ともフェイスブックで親しくなっていく。関係はフェイスブックだけに留まらず、実際に携帯電話でおしゃべりする仲にまで発展する。この家族、どうやらアーティスト一家らしく、母親のAngelaはダンスをしていて、姉のMeganはミュージシャン。そして二人ともすごく美人。特にNevは姉のMeganに心惹かれていき、二人はほぼ毎日電話でメッセージを送り合ったり、話したりするようになる。NevはMeganに歌を送ってくれとリクエストし、それを聞いたNevはすっかり聞き惚れる。しかし、何度かそのやり取りをしているうちに彼女の歌がYouTubeにアップされている別人のものだということに気づく。
この家族の存在に疑問を持ち始めた3人は、ミシガンに住むこの一家に黙って会いに行くことにした。

フェイスブックの情報といちど送った絵葉書の住所を便りに居場所を突き止めた三人は、そこで本当のことを知ることになる。

そこで三人が出会った人物は、フェイスブックの写真とは全く異なる人物だった。絵を描いたのは8歳のAbbyではなく、母親のAngelaだった。しかし、Angelaはダンスをしているグラマラスな女性ではなく、太り気味の中年女性であり、Meganは家族とはすでに疎遠な存在でやはり写真とは別人であった。フェイスブック上のMeganは、じつはAngelaが創りあげた架空の人物でフェイスブック上のプロフィール写真はカナダのモデル兼フォトグラファーのものを勝手に使用していた。

それどころか、Meganのフェイスブックには16人のフレンドがいるのだが、それも全てAngelaが一人で創りあげたもの。彼女はフェイスブック上に架空のアカウントどころか、架空のコミュニケーションまで創出していた。(彼女の写真や投稿にはコメントなどが多数ついている。全てAngelaの自演だった)

携帯電話もNevに会わせて複数台所有していた。一つはMeganとして応対する用、もう一つはAngelaとして。

このAngelaという女性は、Vinceというバツイチの男と結婚している。Vinceには双子のダウン症の連れ子がいた。彼女は毎日彼らの世話に追われており、普段の日常生活ではそのことに対して不満を云うでもなく、毎日を過ごしている。しかし、彼女は日々の生活に本当は疲れていた。今の自分が本当に自分の望んだ姿ではなかった。ダウン症の息子2人もAbbyも愛しているし、夫のことも愛している。しかし、画家になりたいという希望は叶わず、趣味で絵描くだけが唯一の心の支えとなっているような状態が続いていた。

そんな時、フェイスブックでなら、理想の自分を作ってだれかと愛し合うことが出来るかもしれないという、淡い希望を抱いてしまった。Nevは彼女に騙されていたわけだが、非難することは全くなかった。

その後、Angelaは自分以外のアカウントを全て削除した。Nevとは今でもフェイスブック上で友人であり続けたいる。Angelaは自分名義での個展を開くことにも成功したようだ。

こちらがMeganとして使用された Aimee Gonzalesさん。

で、こちらがAngelaさんご本人。映画公開後、ABCテレビのインタビューを受けた時の写真です。

まあ、大体こんな話です。
この映画が完全に事実に基づいているのか、それともいわゆるモキュメンタリーなのかは議論が分かれています。まあでも映画の本質はそこではなく、ポイントはフェイスブック時代の個のアイデンティティとフェイスブックの実名幻想の破壊にあると思います。

主人公のNevはかなりあっさりMeganに参ってしまい、カンタンに彼女の云う事を信じてしまうんですが、あれほどカンタンに彼女のことを信用しきっていたのはなぜかというとフェイスブックとは実名で責任ある主体がアカウントを作っているから、というフェイスブック社のガイドラインに沿った幻想があるからでしょう。実際には匿名というか、ニセの名前でやってる連中はいっぱいいますし、複アカ持ってる人もたくさんいます。

責任ある主体が実名で登録しているので良い議論が生まれるという風潮もあるし、炎上が起きにくいと感じていらっしゃる方もけっこう見受けられるのですが、フェイスブックで炎上が起きにくいのは通常、やり取りが’オープンでなくクローズドだからに過ぎないし、そこに登録されたプロフィールが全て真実である保証はだれもしていません。

その気になればAnelaがやったようにバーチャルな人格のみならず、バーチャルなコミュニティも作れてしまうんですね。そしてそれは、ものすごい作り込んだモノでなくても、他人からみたら妙にリアリティのあるモノなのです。

僕はこの映画を2010年に観て、観終わってすぐにNevにフレンド申請しました。映画の感想は云えたんですが、真相までは聞けなかったですね。
Angelaの方は探し出せなかったです。Nevのフレンドリストにはいないようだったのですが、代わりにFBページがありました。

最近、全く絡んでなかったので、Nevにはフレンド切られてました。
もっと絡んでおけばよかった。まあいいや。

ちなみにこの映画、TVシリーズにもなっています。どんなことやってるのかいうと、この主人公Nevがこの映画の一件でオンラインでの人間関係に悩み始め、映画で有名になった彼はいろんな人からアドバイスをうけるもどれも納得できない。そこで彼は、自分と同じような経験や悩みを持つオンラインカップル(オンラインでやり取りしてるけど、実際には会った事の無いカップル)を番組に登場させ、リアルで会わせる、という企画らしい。
それと、映画のCatfishでAngelaがMegan用に使っていた写真の主、Aimeeに会いに行くようなエピソードもあるようです。

まあ、考えてみれば人間はウソをつく生き物ですね。リアルでもネットでも。
だから実名登録だからウソがない、なんてこともないし。だからと云って匿名の方が真実を云える環境とも思えない。愉快犯のデマも後を絶たないし。

フェイスブックに限りませんが、普段僕らのネットでの振る舞いは現実の世界をどっか違ってたりするんでしょうか。

多かれ少なかれ、無意識のうちにどこか理想的な自分を求めてそれっぽく振る舞ってたりするのかもしれません。
そしてフェイスブックという幻想の実名制の中で、人が「真っ当」な意見を云っていると僕には言い切れません。

映画の予告編はこちら。

関連記事としてローレンス・レッシグ氏のソーシャルネットワークのレビューを貼っておきます。
アメリカのサイバー法の権威、ローレンス・レッシグによるソーシャル・ネットワークのレビュー

映画「Catfish」公式フェイスブックページ。
http://www.facebook.com/catfishmovie

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