TBS日曜劇場『御上先生』4話は、隣徳学園の文化祭に向けて生徒たちが自主的に教科書検定の展示会を企画するエピソードが描かれる。
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アメリカで原爆投下をどう教えているか
3話で問題定期された教科書検定の是非。3年2組の東雲温(上坂樹里)が教科書検定についての展示会を文化祭でやりたいと企画書を作成。しかし、この学校では受験勉強に集中するため通例では3年生は文化祭に参加しないことになっていた。それでも、やるべきだと言う東雲たち。
御上先生(松坂桃李)は、突然帰国子女の倉吉由芽(影山優佳)に向かってアメリカで原爆投下のことをどう教えていたのかを質問する。この時の倉吉の答えは、このエピソードにとって象徴的な意味合いがある。冒頭にこの長台詞を持ってきた構成の意図を考えて見るべきだろう。
倉吉「アメリカでは原爆投下は、仕方なかったと教えられます。アメリカ側はこれ以上日本が戦争を続けるなら、原爆を落とすと通達している。教科書には、このまま戦争を続ければ本土決戦は避けられない、アメリカの若者のこれ以上犠牲にしないために、原爆投下は避けられないと書いてある。」
さらに倉吉はこう続ける「教科書にはこうも書いてある。大統領の意見は正しかったと思いますか、あなたの考える根拠を考えて答えてくださいとも」。
その時、倉吉は答えることができなかったという。自分の意見が日本人全体の意見として受け止められてしまうのではないかと怖くなったのだと。でも今ならもっとマシな答え方ができるとも言う。「日本はもっと戦争を早く止めるべきだったし、アメリカはそれでも原爆を落とすべきじゃなかった。犠牲の人数の問題だけじゃない。何十年も健康被害をもたらす爆弾はどう考えても使っちゃいけなかった。これからの授業ではどっちも間違いだったと伝えてほしい」と。
そして、倉吉はこういう話を日本に帰国してからはできなくなったという。それは重い話をしないほうがいいというような、同調圧力にことを言っているのだと思われる。
文化祭に政治的な展示はふさわしくないか
教科書検定の展示のための教室使用許可は取り消された。文科省の副大臣が視察に来ることが決まったために、政治的な展示は文化祭にふさわしくないとなったのだ。
そのことについて御上先生は生徒たちにディベートさせる。勉強に打ち込みたい櫻井未知留(永瀬莉子)をあえて賛成派に、東雲を反対派にしてディベートさせる御上先生。櫻井は法学部志望だからと教科書検定についても詳しかった。結局、クラスは展示をやることになった。だが、企画書はダミーで提出という裏技を使うことになった。
真面目な性格の東雲がそのような手段に出ることは意外だったと富永蒼(蒔田彩珠)は言う。
そして、文化祭当日。溝端完(迫田孝也)主任の前日と当日朝のチェックをかいくぐり、副大臣に教科書検定の展示を見せることに成功する。槙野はそのことで御上に抗議の電話を入れる。「教科書検定に踏み込むのははしゃぎすぎだ。内閣人事局ができて以来、官僚人事は永田町に握られているんだ」と。
倭健命の謎
溝端は御上先生と是枝先生(吉岡里帆)に説教をしているが、その最中にまたしても倭健命(ヤマトタケル)を名乗る怪文書がFAXで届く。「平川門より入るものに草那芸之大刀を振るうものなり」と今度は書かれている。
是枝先生は、この平川門は桜田門の裏手にあるので、裏口入学を表しているのでは。そして倭健命が襲来に備えて作った関所が霞ヶ関にあったことから、これは官僚のことではないかと推理。まほろばは漢字で書くと真秀ろばなので、これは古代理事長(北村一輝)の名前と漢字が同じだという。
こちらの怪文書が何を示すのかはまだ謎に包まれている。そして、御上先生の兄についてもまだ真相は明かされない。次元と神崎は昔の2ちゃんねるのスレッドで何かを見つけたようだが、視聴者にはまだ示されない。一体そこには何が書かれていたのか。
教科書検定の是非
教科書検定は世界で実施している国とそうでない国があるというのは、今回のエピソードで示されたが、教科書検定が検閲として、また東雲一家を破壊したものとして描かれている。だが、ただちに悪いものと決めつけるのも危うい物があるとは思う。アメリカには教科書検定はないが、日本よりも水準の高い教育ができているわけではなく、格差がすごい。検定は一定の水準をキープしてやばい内容を除外するフィルター機能も果たす。進化論を教えず、インテリジェント・デザインを教えるべきという動きがあるわけだが、教科書の内容の自由化はそういう反知性的な動きの牽制にも使える。
とはいえ、検定する文科省側が腐敗していたらフィルターの意味をなさないわけだが。このドラマは、まさに文科省の不正があったのかどうかを物語の中核に据えている。検定を必要なものだと主張するためには文科省には透明さとクリーンさ、責任や倫理が求められる。それがあるのかどうなのかを、このドラマは突きつけていると言えるかもしれない。