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『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』の非理谷充について書きました

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アニメ!アニメ!の敵役連載で、『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』の非理谷充について書きました。

 「しん次元!クレヨンしんちゃん」に潜む危険なスティグマ― “家族のいない独身男性”が悪役という家族向け映画 | アニメ!アニメ!

 鑑賞した人からは物議をかもしている作品です。シリーズ初の3DCGですが、そのことよりも、今回のゲストギャラクターである、非理谷充の描写に批判があります。

 家族向けのファミリー映画で、独身男性を敵として設定しているわけですが、名前もステレオタイプな当て方だし(非理谷充=非リア充)、ちょっとどうなんだという描写がされています。すごく偏見にまみれた描写が多いんですよね。社会の中にはこうした問題のある人間がいることは確かであるけれど、なぜ問題ある行動をしてしまうかの分析はなく、努力不足であると描いてしまうのは、比較されている『ジョーカー』と比べるとひどく一方的な感じはします。

 また家族向けのファミリー映画ですからね、これ。家族を持てない人々に対してちょっとつらく当たりすぎだろうと思います。『クレヨンしんちゃん』のタイトルでこういうことを描くのは残念です。この作品って、はみだしものも包括するような弾力ある作品だと思うので。
 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
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非理谷充(ひりや・みつる)

いわゆる弱者男性、と制作者は考えていると思われる。

あるいは無敵の人

社会がこういう人間を量産している?

日本の未来について言及するが、解決はしないで個人で頑張れとしか言えない、その限界を露呈しているのが今。個人の頑張りではもはや個人の人生も社会全体もよくなっていかない。毎年暑さはまして生きることが苦しくなるし、そういう社会しか残せない年長世代は

ステレオタイプな弱者男性オタク像の是非。

アイドルにはまることは悪いことではない。彼の趣味をとやかくさげすむ社会はくそだろう。

社会が生んだモンスターなのか、故人の生育環境なのか、判然としない設定。

社会のルサンチマンの方が上手くいったと思うが。

やることは幼稚園の立てこもりというさらなる弱者を叩く行為であるのはなぜなのか。

負のエネルギーの暴発
 
 

Intro

クレヨンしんちゃんの悪役が物議をかもしている。

ステレオタイプな社会的ルサンチマンとアイドルオタク像を固めたようなそのキャラクター造形が
 
 

Body1 前半の彼の描写について

30歳になって定職に就けず、ティッシュ配りをしていると、道すがらサラリーマンに社会の底辺とバカになれる存在
 
 

Body2社会が生んだモンスターなのか、個人の生育環境なのか。

個人のいじめから立ち直るだけで解決するなら、社会は問題なかったのか、たんに彼は社会のせいにしていただけなのか。

自助努力だけではどうにもならないほどに追い詰められた人々がこの社会にはたくさんいる。

頑張れこそが、彼らを追い詰め社会を切り裂くのではないか。

ジョーカーとの比較

社会的に苦しい立場に立たされた男性の暴発

生きたいと思える実りある世の中を作らねばならない。

この映画はファミリー層向けだ。一人客よりもファミリー層に家族を持てない人の苦しみを見てもらうという意味はあったのか、それとも悪役に設定されたがゆえに、子どもをああいうやつに近づけたくないと思われたのか、わからない。

 
 
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 メモ終わり。

 社会を見つめる視線はあるようでない作品かなと思います。なぜ、彼のような存在が社会で苦しむことになって暴発するのか、身勝手だけでは説明できない部分にまで踏み込んでいもいいのでは。
 
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