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海外で忍者がなんで人気なのか、その起源であるショー・コスギさんにインタビューしました

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 海外で忍者はNINJAとしてすごく有名なんですけど、それはどうしてなのか、忍者をNINJAとして海外で有名にした、ショー・コスギさんにインタビューしてきました。

 忍者ってなぜ海外で人気なの? ハリウッドの伝説的ニンジャ俳優、ショー・コスギさんとアメリカ文学研究者に聞いてみた! | NARUTO OFFICIAL SITE(NARUTO -ナルト- & BORUTO -ボルト-オフィシャルサイト)

 しかも、NARUTOの公式サイトに掲載です。NARUTOのサイトにショー・コスギさんのお話を掲載できるとは思いませんでした。楽しい企画でした。

 ショー・コスギさんだけでなく、文学研究者で海外のNINJAの受容の広がりに詳しい園田学園女子大学 人間教育学部児童教育学科の井上稔浩教授にも話を聞きました。

 お二人の話は貴重な話ばかりでしたよ。とりわけ、歴史の生き証人であるショー・コスギさんの、『燃えよニンジャ』の裏話はすごい面白いです。そういうわけで忍者がヌンチャク使いようになったのか〜と今のNINJA像が生まれた瞬間の話を聞かせてもらいました。

 僕もアメリカに住んでいた頃、やたらみんなNINJA好きだなと思ったものです。というか、NINJAという単語は「忍者」とはすでに別の意味として使われているようなところがあります。「なんか、すごい人」くらいの意味合いというか。文化の誤訳の幸福な事例だと思います。
 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
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参考
ショー・コスギ – Wikipedia
Shô Kosugi – IMDb
アジア映画悪役紀行② ニンジャはクール!ショー・コスギin『燃えよNINJA』 — 字幕翻訳・吹き替え翻訳 日本映像翻訳アカデミー|映像翻訳 翻訳学校 翻訳受注
第6回『エルヴィス』番外編:映画で描かれなかったエルヴィス伝説 童貞アーティスト山口明(童貞歴:62年)の『LIFE IS ART‼ 映画でアート思考をアップデート』|K&Bパブリッシャーズ|note
なぜ「忍者」はアメリカ人にここまで愛されるようになったのか? – GIGAZINE
This movie, “ Enter the Ninja” was shot in Philippines in 1980. この映画「Enter the Ninja aka 燃えよニンジャ」は1980年に フィリピンで撮影されました。

「ザ・ニンジャ/復讐の誓い」 Pray for Death (1985) : なかざわひでゆき の毎日が映画&音楽三昧
キネマ旬報. (1056) (1870)4月下旬号 ◆目次記載あり / ハナ書房 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」

ショー・コスギ / 俳優、作家 – 現地情報誌ライトハウス
(44) 11 PM  「USA最新情報・忍者ブーム」ショー・コスギ氏ゲスト出演 1987年 – YouTube
ショー・コスギ – 芸能人の英語力 –
NINJA has arrived! – GO豪メルボルン
Momose Shuji
【週プロ公式】週刊プロレスmobileプレミアム|1991/3/26号(No.425)紹介
第105回:生島ヒロシさん|スペシャルインタビュー「今、かぐわしき人々」|フレグラボ|日本香堂
http://www.yunioshi.com/movies.html
ハリウッド成功ドキュメンタリー『キャノンフィルムズ爆走風雲録』 | 読む映画館
映画秘宝 on Twitter: “映画秘宝12月号⑤『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』公開記念!アメリカン・ニンジャ武装図鑑:ヘンリー・ゴールディング、ショー・コスギ、伊原剛志ほか国際派ニンジャ大集合!/最強新聞:アクション監督・谷垣健治が語る『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』製作秘話! https://t.co/H9zAUoSI0V” / Twitter
外国人は本当に日本に忍者がいると思っている? | テンミニッツTV
『カクレンジャー』から続く忍者戦隊の系譜 。「人に隠れて悪を斬る」から「忍びなれども忍ばない」まで – ジゴワットレポート
 
 

 
 
構成 3月17日

コスギさん
Point
ニンジャ像を決定づけたものとは、コスギさんの演じてきたもの
どういう気持ちでやったのか、
海外での広がり
どうしてニンジャは受けたのか。
Concl:型にはめないことが大事
 
 
Body1 ニンジャ映画の変遷、コスギさんがニンジャになるまで、

– ショーさんのバックグラウンド
– 1948年6月17日、東京の港区芝で生まれる。
– 両親は漁師であり、冬は海苔の養殖、夏は船宿で様々な仕事をしていた。
– 末っ子で、小さい頃から貧困と健康の問題に直面。
– 5歳半で空手を学び始め、逆境に立ち向かいながら成長。

– 子供時代と教育
– 第二次世界大戦後、食糧不足の中で成長。
– 小さい頃は病弱で肺に穴があいたりしたが、週3回の空手練習に励み、克服していく。
– 中学・高校時代は野球をやり、日大三高で活躍。しかし、姉妹の中で唯一慶應に進学せず、野球をやめて受験勉強に専念。

– アメリカへの渡米
– 19歳の時、姉妹の提案でアメリカに渡ることを決意。
– 観光ビザでアメリカ入国後、TOEFLテストで好成績を収め、カリフォルニア大学に進学。
– 英語学校で学びながら、さまざまな仕事を掛け持ちし、生計を立てる。

– 映画俳優への道
– アメリカで映画俳優になる夢を抱くも、オーディションで全滅。
– 中国人の妻に説得され、ソニーや日立の仕事を掛け持ちしながら、夢へのチャンスを探す。
– 8年間600回以上のオーディションで失敗し、ついに「燃えよニンジャ」のスタントマンとして起用される。

– 映画俳優としての成功
– 初日に主役が降板し、スタントマンとして登場。その後、準主役に昇格。
– その後も続編で主役を務め、映画俳優として成功を収める。
– 息子のケインも映画に出演し、親子で活躍する。

『燃えよニンジャ』制作の背景と企画

ショーさんが登場する「燃えよニンジャ」はインディーズスタジオが制作し、主役は当初白人が予定されていた。
インディーズスタジオの白人企画がアクション映画として通り、ショーさんはその中の一人として起用された。
ショーさんのアイデアと貢献

主役の友人から忍術についての知識を得たり、日本映画の影響を受けてニンジャのイメージを形成。
忍術の指導や日本人ならではの刀のアクションで貢献し、スタントから準主役に昇格した。
インディーズ映画の特性とショーさんの役割

主役に白人を起用する傾向があり、ショーさんはその中の一人として成功を収める。
ショーさんは自身のアイデアや貢献で映画に貢献し、主役が白人である制約の中で存在感を示した。

 
 
Body2ニンジャ像の1人歩き、それをどう捉えているか

フランコ・ネロのアクション吹き替えと道具の調達

フランコ・ネロが刀やニンチャクを扱うのに不慣れであり、ショーさんがアクション吹き替えを行った。
刀や他のニンジャの武器の不足から、ショーさんはフィリピンでの撮影時に必要な装備を手配した。
ニンジャ映画のイメージとショーさんのアプローチ

日本の伝統的なニンジャイメージを変えるため、明るくヒーロー性を持ったキャラクターを目指す。
ニンジャはスーパーヒーローであり、子供たちの人気を集める存在として描かれ、成功を収める。
ニンジャの道具と武器の設定

フィリピンでの撮影では必要な装備が不足しており、ショーさんが日本から地下足袋や槍などを手配した。
2本目の映画制作では日本の伊賀や甲賀にも赴き、武器の研究や新しい武器の開発に取り組んだ。
スーパーヒーローとしてのニンジャ像

ニンジャはスーパーヒーローとして描かれ、正義の味方として子供たちに支持される。
ショーさんはニンジャを従来の暗いイメージから解放し、明るく活躍するヒーローとして描写することで成功を収めた。

初期のニンジャ2の企画段階とアクションの特徴

初期の企画段階では、ショーさんとパートナーが問題を解決していくストーリーを考えていた。
ニンジャのアクションには水の流れやダンスの要素が取り入れられ、ショーさんの流れるようなアクションが特徴となった。
ニンジャブームの台頭とアメリカでの受容

1982年頃からニンジャブームが本格化し、子供たちがニンジャの服装を着たり、自警団として活動するケースも現れた。
ニンジャの人気の理由は、ミステリアスで神秘的なイメージやアクションの魅力にあると考えられる。
ニンジャのミステリアスなイメージとアメリカの受容

ニンジャの黒装束やアクションの神秘的な要素がアメリカの観客に魅力的に映った。
ショーさんは意図的に表に出ず、ミステリアスなイメージを保ちながらニンジャのキャラクターを売り込んだ。
 
 
Body3コスギさんのやった工夫

– 1980年代から1990年代初頭にかけてのニンジャブームのピークでは、ニンジャのコスチュームが子供たちに大変人気があり、ショーさん自身もニンジャの衣装を製作していた。特にハロウィンの時期には、ニンジャのコスチュームが全米で最も人気があった。

– ショーさんがデザインしたニンジャの武器や道具は、映画やファンにとって大変魅力的であり、特に子供たちには人気があった。これらの武器や道具は、ショーさんが自ら考案し、製作していた。その中には、様々な武器が1つの刀に収納されるようなものもあった。

– ショーさんは、日本での自身の経験や知識をアメリカに逆輸入し、例えばテレビ番組『カクレンジャー』などに影響を与えた。『カクレンジャー』は大変な成功を収め、ショーさんの息子も出演するなど、その影響力は大きかった。

– ショーさんはニンジャのアクションにおいて、日本の空手やテコンドーの技術を取り入れ、さらに合気道などの技術も取り入れていた。これらの技術の組み合わせにより、彼のアクションは派手で華麗なものとなった。

– ニンジャのイメージや技術をアメリカに紹介したのは、ショーさんが主演した映画『燃えよニンジャ』であり、その中でくじのいんなどの日本の神秘的な要素も紹介された。
 
 
Body4 型にはめないことが大事。海外で広がる新たな文化なので。

ショーさんは最近まで映画を撮っておらず、200以上の仕事のオファーがあったが、全て断っている。
ショーさんはニンジャ関連のオファーが多く、そのイメージを大事にしている。特にショーコスギのニンジャのイメージを否定するものは作りたくないと語る。
ニンジャ・アサシンが終わった後、タートルズから声のオファーがあったが、日本とアメリカを行き来するのが難しいため断った。
自分の作品は自分で作り、ニンジャと修験道を一致させ、日本の歴史も取り入れている。
オファーはいただいているが、下手なものは作りたくなく、元に戻りたくないと考えている。
ショーさんが作った新しいニンジャ像がナルトに影響を与え、最初は子供たちに人気があり、強いものが悪者でなく、抑え込んで最後に爆発するというメッセージがアメリカで受け入れられた。
ショーさんは自分が真似されても良いと思っており、新しいニンジャの形が生まれても良いと考えている。
ショーさんは日本のニンジャがスーパーヒーローとして作られる中で、逆に自分の中ではニンジャは新しくなり、消えていくものだと感じている。
日本の文化が世界に広がるモデルケースとして、ショーは自分の創造したニンジャが成功したことを挙げ、これが逆輸入されてナルトのような漫画が生まれたと語る。
ショーさんは現在もトレーニングを欠かさず、映画化を目指して書いた本がある。それは日本の歴史や文化を広めるもので、マンガ化したいと希望している。

 
 
Body5 ナルトとの共通点

– ショーさんはナルトについてアニメで一度見たことがあり、キャラクターが強さを内に秘めつつも明るく友達を大切にする点がアメリカの観客に受け入れられると感じた。
– ナルトが孤独を抱えていても、トップになる目標を持って頑張る姿勢がアメリカのメンタリティと共鳴している可能性がある。
– アメリカの映画ではヒーローが活躍すると拍手されるが、日本ではそういった反応はなく、ショーさんはこれが異なる文化的な背景に起因していると語る。
– 日本の伝統的なニンジャ像は暗くコソコソとしたもので、ショーさんはこれに反対し、スーパーヒーローのような活躍をする明るいニンジャを描くことを提案した。
– ショーさんはニンジャのキャラクターを通して、子供たちに希望と勇気を与えることが重要であり、そのためにはヒーローとしての魅力を持たせる必要があると語る。
– ショーさんの新しいニンジャ像がナルトに影響を与え、その流れが新しい漫画やカルチャーの創造に繋がったと考えている。
– ショーさんは日本の文化が逆輸入されることに肯定的であり、自分がやらなくても新しいクリエイターが新たなものを生み出すことが重要だと述べている。
 
 
井上先生の取材
Point
ディアスポラ中間的なもの
アメリカにおけるセルフ・メイド・マンの系譜
東洋の神秘
 
 

構成3月20日
ショー・コスギさんパート

Point
ショーさんの歴史
ニンジャのイメージを決定づけた『燃えよニンジャ』の真相
スーパーヒーローとしてショーさんが作り直したニンジャ像、
その工夫、武器も含めて
なぜ、スーパーヒーローにしたのか。
ニンジャはどれくらい人気だったのか。
ナルトとの共通点とは
文化は型にはめない方がいい。
 
 
Body1 ショーさんの歴史
– ショー・コスギさんの生まれは東京港区の芝浜で、漁師の親父と共に育った。家庭は貧しく、太平洋戦争が終わったばかりの時代で食べ物も不足していた。
– 5歳の頃から空手を始め、病弱だったが克服し、その後は野球にも打ち込む。慶應大学に入学を目指すも叶わず、浪人生活が続いた。その後、姉の勧めで19歳で単身で100ドルほどを持ち渡米し、LAで英語学校に通い始めた。
– 英語の学校で学生ビザに切り替え、大学に編入してユダヤ人弁護士の家で働きながら生計を立てた。空手を教えることで学費を捻出し、全米トーナメントで数百個のトロフィーを獲得した。
– 道場が繁盛し、空手の名前も知れ渡るが、映画俳優への夢をかなえるためにロサンゼルスで売り込みを始める。しかし、最初の8年間はオファーがこず、エキストラやスタントマンとしての仕事が主だった。
– その後、『燃えよニンジャ』のオーディションを受け、スタントマンとして採用された。初日に主役俳優がクビになり、ショーは急遽準主役に昇格した。
– 『燃えよニンジャ』の成功後、すぐに続編『ニンジャII/修羅ノ章』の主役に抜擢され、息子のケインとショーンも映画に起用された。プロデューサーは最初は東洋人の起用に反対していたが、ケインさんのデモンストレーションを見て納得し、2人とも契約書にサインした。
 
 
Body2 ニンジャのイメージを決定づけた『燃えよニンジャ』の真相

『燃えよニンジャ』の企画が生まれた背景には、インデペンデントなスタジオが関与しており、主役が白人男性であったことが重要だった。ショーはこの企画にスタントマンとして参加することとなった。
企画は最初は忍者の物語としては荒唐無稽で、いくつかいい加減な部分があったが、スティーブ・ヘイズという人物が忍術を学び、日本の映画などを参考にしていた。スティーブは当初主演予定者に教えていたが、ショーが実際のアクションの腕前で選ばれた。
九字の印を切るというハンドサインは、アメリカでは『燃えよニンジャ』が初めての試みだった。これはスティーブ・ヘイズが日本で修験道を学び、その経験から取り入れたものであり、東洋神秘の象徴として白人には新鮮に映った可能性がある。
ショーは『燃えよニンジャ』で敵役のハセガワ役と主演のフランコ・ネロのスタントマンを務めた。ネロは刀の扱いが未熟だったため、ショーがスタントマンとしての指導を行った。
ヌンチャクがニンジャの武器として取り入れられた経緯は、フィリピンで手に入るだろうと思って他に武器を用意していなかったことから生まれた。ショーが自分のトレーニング用に持ち込んでいたヌンチャクやトンファーがそのまま使われることとなり、これが結果的にニンジャのスタンダードとなった。
 
 
Body3 スーパーヒーローとしてショーさんが作り直したニンジャ像、

– ショー・コスギさんが言うには、日本のニンジャのイメージは暗く、影でこそ活動する存在として描かれることが一般的。しかし、ハリウッド映画では視覚的にわかりやすく、スーパーヒーローのようなキャラクターとして描かれる必要があります。
– プロデューサーとのやり取りでも、黒装束のニンジャが昼間でも目立つことが重要だと指摘され、日本のイメージとは異なるアプローチが求められました。
– ショー・コスギさんは、ハリウッド映画の観客層を考慮し、小さな子供たちが憧れるスーパーヒーロー像にニンジャを置き換えることで、より広い人気を得ることを意図しました。
– 『ニンジャII/修羅ノ章』の企画も当初はヒーローものではなく、ショー・コスギさんがパートナーと共に問題解決するストーリーだったが、後にヒーロー路線に変更された。
 
 

Body4 その工夫、武器も含めて

– ショー・コスギさんのキックは、ダンスのような流れがあり、実際にバレエ・ダンスの要素も取り入れられています。
– 彼のアクションは空手をベースにデザインされていますが、テコンドーなど他の武道の要素も取り入れられており、派手な動きや技の切れを重視しています。
– ハリウッドの映画製作において、黒装束のニンジャが目立つようにデザインされたり、スーパーヒーロー路線に変更されたりするなど、日本のニンジャのイメージとは異なるアプローチが取られています。
– ショー・コスギさんは、ニンジャの持つ武器や装備についても自らデザインし、ジェームズ・ボンドの要素を取り入れています。
– 80年代は筋肉の大きい肉体派アクションスターが活躍する時代でしたが、ショー・コスギさんはスピードを意識し、技の切れとスピードを重視して差別化を図っています。
 
 
Body6 ニンジャはどれくらい人気があったのか

– ショー・コスギさんは、成功したことから得た知名度を使って、病気の子どもたちの夢を叶えるプロジェクト「ラスト・ウィッシュ・ファウンデーション」に参加し、ニンジャに会いたいという子どもたちの希望を叶える活動も行っています。
– 80年代のニンジャブームでは、子どもたちがニンジャの衣装を身に着け、手裏剣などのアクセサリーも人気で、ショー・コスギさんの会社ではそれに対応する商品が製造されました。
– ニンジャがアメリカ社会で受け入れられた要因として、全身黒い衣装で目だけが見える外見や、ミステリアスな雰囲気が挙げられています。また、アメリカ社会においては、東洋人に対する神秘的なイメージが受け入れられ、ニンジャが東洋の謎めいた力を象徴していたと考えられています。
– ショー・コスギさんがニンジャの概念が世界中に浸透したと感じた瞬間は、最近でも世界中からファンレターが届き、映画へのオファーが絶えないことから感じていると述べています。
– 子どもたちにとって、ニンジャの魅力は弱者を助け、最後に力を発揮する姿勢にあるとし、この感覚がアメリカや世界で成功する鍵だったと考えています。
– ショー・コスギさんが築いたニンジャ像は、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』や『スネークアイズ』など、後の作品に影響を与えている可能性があります。

 
 
Body7 ナルトとの共通点

ショー・コスギさんは、『NARUTO』と自身が描くニンジャ像との共通点について言及しています。彼は、アメリカのヒーローが復讐の感情を抑えて爆発する姿勢と、『NARUTO』の主人公ナルトが孤独を抱えながらも内に秘めた力を持つキャラクターである点に共通性を見出しています。

彼は『NARUTO』をアニメで視聴したことがあり、そのキャラクター設定やストーリー展開に対して高い評価を述べています。特に、ナルトが孤独な状況にありながらも強い意志を持ち、夢に向かって努力する姿勢が、アメリカの視聴者に支持される理由の一つだと考えています。

アメリカの視聴者は、自身の日常生活で経験する悩みや孤独を抱えながらも、ヒーローによって自分を代表して活躍してほしいという願望を持っていると指摘しています。そのため、ナルトのようなキャラクターがヒーローとしての憧れを抱くアメリカの視聴者に響くのだと述べています。
 
 
Body8 文化は型にはめない方がいい

ショー・コスギさんは、自身のニンジャ像が変化していく過程について語っています。彼は、古いニンジャ像が消えていく中で、新しいスーパーヒーローとしてのニンジャを作り上げるチャンスを得たと感じています。彼の作り上げたニンジャは、日本のオリジナル要素がほとんどないにも関わらず、世界中に広まっていく文化としての概念として受け入れられています。

ショーさんは、文化が国を超えて広がる過程で変化することを受け入れ、止めることができないと述べています。彼は食べ物や文化が変化することに対して開かれており、さまざまな可能性が広がっていくことを歓迎しています。

また、ショーさんは自身が執筆した小説を映画化することを考えており、その物語が日本の歴史や文化を世界に広める一助となることを期待しています。彼の作品は修験者をテーマにしており、それがニンジャのルーツにつながる要素を含んでいます。彼の夢は、この物語が漫画化され、『NARUTO』の作者である岸本斉史先生に描いてもらうことです。
 
 
井上先生のパート

Body1ニンジャのアメリカでの歴史について考察
以下は、対談からの要点を箇条書きでまとめたものです。

– アメリカにおけるニンジャの需要は、ショーさんによれば80年代くらいから広まったと言われており、井上先生も80年代以降にニンジャ映画が多く制作されるようになったと考察している。
– ニンジャがアメリカで広まるきっかけは、コスギさんの「燃えよニンジャ」が爆発的なヒットを飛ばし、その後に様々なニンジャが生まれていったことが挙げられている。
– ニンジャがブームとなる以前、ブルース・リーが主役となったカンフー映画がハリウッドで人気を博していた。ブルース・リーの死後、アメリカの映画産業はその穴を埋めようとし、コスギさんの映画がアメリカ人の心を引き寄せた。これにより、新たなアクション映画のジャンルが生まれた。
– ニンジャの需要が広がった理由の一つは、白人男性だけでなく、様々な人種や女性、子ども、老人など、あらゆる人々が共感できるヒーロー像を求めるようになったため。これはフェミニズムが力を増していた70年代の背景や、ベトナム戦争後のアメリカ社会の変化に関連している可能性がある。
– アメリカにおいて異国のカルチャーが需要されるようになった背景には、ベトナム戦争やフェミニズム運動など歴史的な出来事が影響しており、これが70年代以降のアメリカの精神風土の変化につながった。
– アメリカのヒーロー像が変化する中で、80年代からはアメリカ独自のニンジャ像が確立されていき、例として「ブレード」が挙げられている。アメリカ独自のニンジャは、異なる人種や性別のヒーローが活躍する物語になり、これがアメリカ社会において求められた。
– ニンジャの需要が広まる中で、アメリカの武道の興隆や、異国の文化に対する興味が増加したことも影響していると考えられる。
 
 
Body2ディアスポラ的な要素

– ナルトは黒人コミュニティでも人気があり、アメリカのニンジャの歴史を知ることで理解が深まる。井上先生が指摘したディアスポラ的存在とは、どこにも貴族する場所を持たない存在を指し、ブレードやナルトのようなヒーローがこれに該当する。
– アメリカのニンジャは、多くが孤児という設定を持つ。これはディアスポラ的な感覚を呼び起こすものであり、アメリカ文化の中で「よそ者」として共感を呼び起こす要因となっている。
– ナルトがアメリカ人の感性に訴える要素は多岐にわたり、邪悪な部分を受け入れるメッセージや、孤独や葛藤との闘いを描くことが挙げられる。これはアメリカ文学の中にも類似の要素が見られる。キラービーに滝に連れて行かれるシーンなど
– アメリカ文学における邪悪な部分の排除というテーマは、ナルトと異なり、破滅や苦悩をもたらす。ナルトの場合は、邪悪な部分を排除せずに受け入れ、それが成長につながるというポジティブなメッセージがある。
– これらの特徴は、ナルトが東洋的な感性を反映している可能性がある。善悪二元論の考え方が東洋と西洋で異なる点があるかもしれない。
 
 
Body3 セルフ・メイド・マン

ナルトは最初は落ちこぼれから始まり、自分の努力と成長を通じてセルフ・メイド・マン的な存在になる。彼の目標は最初は個人的なものだったが、次第に他者のために忍術を身に着けていく方向に変化していく。
アメリカのニンジャ映画には復讐が多く、個人主義的な要素が見られる。これに対し、ナルトは利他的な理由から成長していく点が魅力的である。
ナルトの物語には、セルフ・メイド・マン的な考え方やディアスポラ的な性格の共通点がある。また、アメリカ人が映画を通じて自己を認識するように、ナルトも様々なヒーロー像を通じて共感できるキャラクターを提供している。
ナルトの世界では、女性キャラクターも重要な役割を果たしており、視聴者が自分の理想像を見つけることができる。これはアメリカ映画が果たしている役割と類似している。
 
 
Body4 東洋の神秘の要素、ブルース・リーの影響など

ナルトの時代には、アメリカ人が受け入れる勧善懲悪的な要素と東洋的な神秘性が共存している。これはコスギさんの作品が脚色されて海外で人気を博した結果、逆輸入されたものと考えられる。
ニンジャや忍術の不思議さは、合理性のないものとしてアメリカの想像力を掻き立て、解釈の自由を生み出した。これが海外のニンジャ像の発展に繋がった。
海外でのニンジャ概念がナルトに影響を与えた可能性は高く、これが作品に新たな要素をもたらしたと考えられる。
本物のニンジャ像はフィクション化されており、作品内の要素は観客のエンターテイメントを目的としている。この自由な解釈が新たなアイデアを生み出している。
アメリカの社会が多様性に富んでいることが、文化や習慣の相互影響を促進している。異なる考え方や文化がぶつかり合い、新たなものが生まれることで、アメリカの発展が支えられている。
歴史上の忍者はあんな黒い服は着ていない。手裏剣も刀も持っていない。農民や町民の格好をすることが多かった。
 
 
 
 
井上先生のパート 3月24日

Body1 ニンジャにいたるアメリカのヒーロー史

アメリカでのニンジャ映画の受容が広がったのは、80年代に入ってからであり、ショー・コスギさんの『燃えよニンジャ』が特に影響力を持ったとされる。
ブルース・リーの後継者としてニンジャが注目されたのは、彼の格闘スタイルに多様性があり、奇想天外でワクワクさせる要素があったからである。
アメリカのヒーロー像が変化していった背景には、70年代の社会的変革や多様性への要求がある。これに対応するため、白人男性だけでなく、マイノリティや女性なども含めたヒーロー像が求められた。
ニンジャは東洋的な神秘性とマイノリティの要素を持つため、この時期のアメリカ社会にマッチし、ニンジャ映画が支持された。
80年代には低予算のニンジャ映画が多数制作され、ショー・コスギさんが多様なアイデアを取り入れてニンジャのイメージを定着させた。
90年代以降は、アメリカ独自のニンジャ映画が登場し始め、マイノリティの主人公やキャラクターが描かれるようになっている。例えば、マーベルの『ブレード』などが挙げられる。
 
 
Body2 ディアスポラとセルフ・メイド・マン

ディアスポラとは、どこにも帰属する場所を持たない存在を指し、アメリカのヒーロー像にはよそ者が多い。例えば、『スタートレック』の登場人物が惑星の問題を解決して去っていく構図が挙げられる。
ナルトやアメリカのニンジャ作品には、孤児の設定が多く見られ、この孤児という設定がディアスポラ的な存在を描くポイントになっている。邪悪な部分との戦いがテーマとして現れることもある。
アメリカのニンジャ映画には復讐劇が多く、個人主義やセルフ・メイド・マンの概念が表れる。この中に東洋の神秘への憧れも含まれており、独自のニンジャ像が形成されている。
 
 
Body3 ナルトとアメリカニンジャの共通点と違い

『NARUTO』の主人公ナルトは、九尾の人柱力であり、普通の人間でもなく九尾の狐でもない存在。そのため、最初は里でのけ者扱いされるが、この特殊性がアメリカ人の共感を呼ぶ要因の一つと考えられる。
ナルトがキラービーに連れて行かれる滝で自分の内面と対峙する場面では、ナルトが邪悪な自分を抱きしめる描写がある。これはアメリカ文学とは異なり、ナルトが邪悪な部分も受け入れることで成長していく姿勢を示しており、東洋的な価値観が反映されている。
ナルトの火影になりたい動機は、初期から後期に向けて変化している。最初は利己的な動機から始まり、少しずつ里を救うためやみんなを助けるために火影になるという利他的な形に変化していく。これはアメリカ映画とは異なる特徴だと指摘されている。
 
 
Body4 ニンジャが海を渡った時、何が起こるのか。

歴史的なニンジャは黒い服を着たり、手裏剣や刀を持っていたわけではなく、農民や町民の恰好をしていた。実際のニンジャ像は歴史研究としては一つの学術的立場として正しいが、文化の中でのニンジャ像は多様な解釈ができる。
解釈の自由があり、各国で様々なニンジャ像が生まれている。これらがぶつかり合ったり触れ合うことで新たなニンジャ像が生まれる。
ショーさんも指摘しているように、ニンジャは型にはめてはいけない。各国で生まれたニンジャ像が『NARUTO』などの作品にも影響を与えている可能性があり、完全に影響がないとは言い切れない。
 
 
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 メモ終わり。

 これを調べたりリサーチしたりするの楽しかったですね。ショーさんの昔の映画は配信もされてないものばかりなので、国会図書館言ってレーザーディスクで見たりしました。
 
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